「臨終のことば」「辞世の歌」募集

「受賞作発表」が、11月12日(日)に高台寺利生堂で行われました。
受賞作を紹介いたします。

ココロにキク コトバのチカラ

ご自身のことば、聞いたことば、親が遺してくれたことばなど
いつまでも大切にしたい、心に染みこんでいる
あなたの「コトバ」を言の葉に、歌に、あらわしてください。

受賞作発表

ごあいさつ

 北政所ねね様四百年遠忌の記念の行事として、「臨終の言葉」「辞世の歌」を募集致しました。
 天下を統一し、栄華を極めた秀吉公は、死にあたり全てを達観し、悟りの心境に入っているような辞世の歌を遺されています。辞世のことばは、その人自身の死生観、人生観から出てくる心に響き、心に残ることばだと思います。
 今回の募集で「臨終の言葉」に201首、「辞世の歌」に360首と多くのご応募をいただき、多くの方が関心を寄せていただき感謝申し上げます。
 最後になりましたが、ご応募いただきました皆様、並びにご協力くださいました選者の皆様、関係者の皆様には心よりお礼申し上げます。

高台寺 執事長  奥村 紹仲

作品選考に寄せて

 選考にあたり応募して頂いた皆様に改めて感謝申し上げます。応募数も然りながら、各々真摯にその人生を観ておられることを感じ何故かほっと致しました。
 今回のテーマは、その方の一生や人生観を凝縮したものであります。その中から特定の作品」を選ぶという作業には、いささかの抵抗感もありました。故に、作品に優劣は無く、単にそれぞれの選者の思いと共鳴したに過ぎない、とご理解ください。
 「なにわのことは夢のまた夢」「夢は枯野をかけめぐる」等々、人生を一条の夢とする有名な辞世の句もたくさんありますが、かの一休禅師は末期の一句を唱え終えた、そのあと最後の最後に「死にとうない」と呟いたとも伝わります。
 人は皆、いつかは死なねばならないものでありますが、その時にあたって、「良く生きなければ良く死ねない」ともいうことを、今一度噛みしめてみたいと思います。
 ありがとうございました。

高台寺 顧問  川本 博明

「辞世の歌」の選を終えた今

 老若に関わらず自らの死を仮定した歌を詠むことは、これまでの生をあらためて振り返り、同時にこれからの生にあらたな覚悟をもって臨むという意味を持ちます。そのような考えに立って、世間に余り例がない「辞世の歌」公募が企画されました。結果的に三百六十首が寄せられ、その意義はかなり浸透したと受け止めて良いでしょう。
 応募作に詠まれた題材を概観すると、ほぼ三つの傾向が窺えます。一つには、死を迎える際の自身についての歌です。斯くなるはずという予感もあれば、斯くありたいという願いもあります。二つには、来世をそれなりに想像し、転生の意味を見出そうという歌です。三つには、今まで経て来た人生や、共に過ごした配偶者・家族に対する感謝の歌で、満ち足りた思いの歌に触れる時、読む側もまた幸せな気持ちを分かち与えられます。
 選を終えた今、再来年に向け当企画の更なる充実を心より願う次第です。

京都歌人協会会長・日本歌人クラブ近畿ブロック長  田中 成彦

受賞作品

臨終のことば(死に際のことば)
部門

最優秀賞

すべては
偶然だったかもしれないけれど、
なんて素敵な偶然だったことだろう

佐賀県唐津市  古賀由美子

選 評

 ココロにキクコトバのチカラ、なるコピーで始まった「臨終の言葉」でありました。
 受賞は偶然だったのかどうかはわかりませんが、選考委員の全員が挙げたのが本作です。
 これは臨終の言葉でなくとも、今生きている我々の日常底でも使ってみたくなるような素敵なことばです。それがみんなの琴線にふれたのだと思います。
 いつか来るその日の前に、何度でも使える偶然がありますようにと祈ります。

「臨終のことば」 部門 選考委員会

受賞にあたって

 思った通りのことを書いただけですのに、こうして思いがけない栄えある賞を頂き大変恐縮するとともにドキドキときめいております。
 独身時代もそうですが、結婚してからなんという僥倖をいただいたことでしょうか。
 反省だらけの人生に家族は心から支えになってくれて、私の人生こんなに恵まれていていいのだろうか、そのうちバチが当たるのではないかと思うほど素晴らしい人生でした。
 出会いは偶然ではなく必然ともいわれています。
 私のちっぽけな人生に素敵な偶然をめぐり合わせてくれた運命に心から感謝しています。

優秀賞

我が人生一点の雲なし
百万回の「ありがとう」でも足りぬ 妻への感謝
あなたに会えて本当に良かった

滋賀県大津市  間宮一江

選 評

「一点の雲なし」とは、なんと潔いことばでしょうか。
 このような言葉を残せる人生をあゆまなければなりません。そう思い起こさせることばです。
 応募作品では、ありがとうと感謝を込めるものが多数寄せられました。その中でも、奥様に対する愛情があふれておりました。
 素晴らしいご夫婦に選考委員の票があつまりました。

「臨終のことば」 部門 選考委員会

受賞にあたって

 思った通りのことを書いただけですのに、こうして思いがけない栄えある賞を頂き大変恐縮するとともにドキドキときめいております。
 独身時代もそうですが、結婚してからなんという僥倖をいただいたことでしょうか。
 反省だらけの人生に家族は心から支えになってくれて、私の人生こんなに恵まれていていいのだろうか、そのうちバチが当たるのではないかと思うほど素晴らしい人生でした。
 出会いは偶然ではなく必然ともいわれています。
 私のちっぽけな人生に素敵な偶然をめぐり合わせてくれた運命に心から感謝しています。

佳作

「ありがと」と言わせてくれて
ありがとう

京都府京都市 永冨真一


人生、何とか成ったなぁ

大阪府堺市 山野大輔


娘達の声が遠くで聞こえる。
「ありがとう」
あなた達のおかげで私は母になれた。
こちらこそ、ありがとうね。

京都府舞鶴市 古橋路子


死ぬ時は、みんなひとり、
でも大丈夫、
必ずお迎えが来るから。

神奈川県茅ヶ崎市  冨塚博之


順番通りでよかったよ

福岡県粕屋郡 奥田昌元


昔日の悔いと安堵の店じまい

神奈川県小田原市  井上 靖


生まれたら全員いつかは死んでいく。
死は平等だけど、
どう生きていくかは自分で決められる。
責任もちな。

群馬県吾妻郡  金子歩美


楽しい思い出は
クラウド化して、天国に持参する。
孫の成長などアップデートは
随時お願いします。

岐阜県岐阜市 田中恭司

辞世の歌 部門

秀吉公賞

一生を
耕し続けた黒土に
我が身は還るゆっくりかえる

北海道札幌市  藤林正則

選 評

 この作品は、自身の過ぎゆきを振り返りつつ、同時に臨終をいかに迎えるかという問題にも向き合おうとしているかのようである。
 「一生を耕し続けた黒土」とある以上、作者が農業に携わって来たと思える。もちろん歌の直接的解釈としてはその通りながら、事実は違っていても構わない。なぜなら農耕民の血を濃く引く日本人にとり、黒土を耕すとは汗水垂らして労働に打ち込むことの象徴表現となっているからである。
この歌が多くの人の共感を得るのもその一点による。「黒土」はもう一つの意味を負っている。言うまでもなく「土に還る」という死の表現である。かつての土葬による帰着状況は、火葬の時代となっても死の到達点として用いられている。
 この歌は全体的な語句配置に工夫が見られる。「ゆっくりかえる」という結句の反復もよく利いている。「ゆっくり」は心境のゆとりを感じさせ、「かえる」と字をひらがなにしたことにより、「帰る」を始めとする様々の「かえる」を想像させ、余韻を含む歌となった。

「辞世の歌」 部門 選考委員会

受賞にあたって

 自然に生き自然に化していくのが生きものの本来の姿です。
 一生涯をかけて耕し続けた土に、黒々とした土に、自分自身が還ってゆくのは自然の姿です。しかし営々と耕し続けて来たものは自分の生きざま、心であるかも知れません。
 耕し続けた土の中でゆっくりゆっくり時間をかけて土にかえってゆく我が身を想います。
 「秀吉公賞」受賞は望外の喜びです。ありがとうございます。

ねねさん賞

死ぬるまで
やりたき事をあれこれと
持ちて生きたし 成しえなくとも

神奈川県川崎市  高橋嬉文

選 評

 かつて辞世の歌は、ある種の悟りを表現することが多かったと言える。中世の無常観をふまえ、今までの俗欲に執着しない諦念をわがものとすることにより、あるいは病に耐えあるいは戦に赴いたのであろう。
 しかしながらこの受賞作は違っている。死の瞬間まで「やりたき事」を持ち続けたいと言うのである。仏教の教えから見ると悟りには程遠い執心である。この点で注目したいのは結句である。「成しえなくとも」と記しているが、むしろ「成しえない」ことを前提としているかのように受け取れる。結果はともかくとして「今やりたき事」を持つことが即ち生きる意味ではないかと思わせる勢いを持つ。執心を捨て去れないと素直に認めることこそ、むしろ今日における逆説的な悟りなのかも知れぬ。思考のためらいを暗示する如き一字空けにも作者の意図があり、原作通りに残し置いた。
 「ねねさん賞」は女性が受賞と思う向きも多かったろうが、この歌は性別を超えた普遍性を有すると言えよう。

「臨終のことば」 部門 選考委員会

受賞にあたって

 高台寺「辞世の歌」公募に応じるよう、京の歌人からお勧めを受けた。
 今まで考えた事もなかったが、自身の八五歳を思えば適齢期である。
 古今の名歌を紐解き、自然を織り込み、人生の儚さを優雅にと二〇首ほど作ったが何か絵空事。
当然のことであろうが心のままに作りました。
 この世に未練が有る様な無い様な歌ですが、ねねさん賞を賜り、大きなお励ましを頂き、誠に嬉しくこれからも言葉の力を信じて励みます。
 皆様に心より感謝を申し上げます。

入選

来世には
大きな魚に生まれきて
百万海里の旅に出でなむ

茨城県牛久市 高橋敬一


この顔を
子らの眺めて荼毘に付す
終の美しかれ夜の鏡面

京都府京都市 西川澄子


天に行き
父母に会いたし今一度
子供となりて家族とならむ

佐賀県佐賀市 東家芳寛


死ぬ間際
思い出すのはあなたとの
ともに過ごして笑い合う日々

徳島県徳島市  佐藤絢香


ありがとう
別れを告げる臨終に
誰一人なしそれを死と言う

福岡県粕屋郡 奥田昌元


やりたいこと
すべてやったと思うから
悔いはないですもう眠ります

佐賀県唐津市  古賀由美子


一人っ子
一人で生まれそして死ぬ
でも僕は決して一人じゃなかった

栃木県那須烏山市  本間滋之


天国で
また会いましょうそれまでは
春のさくらとなって会いましょ

埼玉県入間市 大野美波


いま瞼
閉じても我に残るはず
本・チョコレート・歌・花・ダンス

兵庫県神戸市 足立有希


自分史の
最終章は未完成
あとの中身は家族に託す

新潟県新潟市 地引文貴


飽きるほど
毎日同じことをして
最後の日まで明日を信じる

鹿児島県鹿児島市 佐藤 橙


閻魔さま
無数の人生裁き来て
今心底に想うのは何

大阪府枚方市 前原哲雄


老いらくの
恋をしまして残り火の
爆ぜております死ぬまでおんな

京都府木津川市 山田勝子


とことわの
訣れに際し気付くべし
連れへの情け現世の無常

京都府京都市 髙田利一


この歌を
伝える君が生きている
ただそれだけで感謝しかない

京都府京都市 永冨真一


葬式も通夜も
要らぬが孫たちよ 
せめて盆には会わせておくれ

京都府京都市 長野紋佳


残すべき
辞世ひとつも有らざれば
無為に生きたる我を恥ぢ入る

千葉県木更津市 安田清一


何ひとつ
成せるものは無いけれど
平和を願う心は遺す

京都府木津川市 藤本美代子


「臨終のことば」「辞世の歌」 選考委員会

「臨終のことば」部門

高台寺 執事長
奥 村 紹 仲

ねね様四百年遠忌実行委員長
後 藤 典 生

高台寺 顧問
川 本 博 明

高台寺 副執事
青 山 公 胤

高台寺 事務長
田 中 敬 子

「辞世の歌」部門

京都歌人協会会長・日本歌人クラブ近畿ブロック長
田 中 成 彦

京都歌人協会会員
西 谷 和 子

京阪奈短歌会会員
井 上 美 香