高台寺について


豊臣秀吉の正室・北政所ねねが慶長11年(1606)、秀吉の菩提を弔うために改創した寺で正式名は高台寺聖寿禅寺。
徳川家康の財政的援助もあり、寺は荘厳を極めた。その後度重なる火事で多くの堂宇を失ったが、今も残る開山堂と霊屋、茶室の傘亭・時雨亭、表門、観月台に桃山時代の華麗な面影を伝えている。
中でも霊屋の須弥壇や厨子に描かれた高台寺蒔絵はあまりに有名だ。
また、ねね終焉の地となったのが高台寺の塔頭にあたる圓徳院。元伏見城の北政所化粧御殿の前庭を移した北庭は、小堀遠州が手を加えたもので、
桃山時代の代表的な庭園として当時の原型をそのままに留めている。


霊屋内陣 秀吉公厨子前扉表側