圓徳院由来

日本历史上出仕最成功的人便是“丰臣秀吉”。“北政所宁宁”是他的爱妻,也是他的得力助手。秀吉死后,宁宁就搬到了“圆德院(ENTOKUIN)”居住。秀吉以一届农民之身拼搏成为统一日本的大将,他的妻子如何能保持心灵的宁静呢?其中的秘密就在这寺院之中。
400年前,武将们拥兵自重,战争频繁。武士们和他们的妻子,就在这战乱年代之中,学习到了保持心灵宁静的方法。

関連年譜

天文17 1548 ねね誕生。
天正 2 1574 木下利房公(ねねの兄家定の子)誕生。
天正16 1588 北政所(ねね)、従一位叙任。
文禄 1 1592 利房公、若狭高浜を領す。
慶長 4 1599 北政所、大坂城を出て京都に移る。
慶長 8 1603 北政所、高台院の号を勅賜。
慶長10 1605 伏見城より化粧御殿と庭園を移築。北政所移り住む。木下家、圓徳院に客殿(現方丈)建立。
慶長11 1606 北政所、京都東山に高台寺を建立。
元和 1 1615 利房公、備中足守を領す。
寛永 1 1624 利房公、化粧御殿を北政所より賜り永興院と号す。
三江紹益、建仁寺久昌院から高台寺へ入寺。
北政所没す。
寛永 4 1627 利房公、仙洞御所守護を辞任。圓徳院と号す。
寛永 9 1632 木下家後世追福のため、居館を改め圓徳院と成す。
慶安 3 1650 圓徳院開基三江紹益没す。