高台寺天満宮
高台寺天満宮のいわれ
高台寺を創建した際、北政所の兄木下家定が社殿を造営して寄進した一間(1.8メートル)四方の小さな社で、綱敷天満宮の祭神菅原道真を歓請して高台寺の鎮守社としたものである。
家定の書き綴った「綱敷天満宮縁起」によると幼いころから菅原道真を崇拝していた北政所は、ある夜近臣のものたちも連れず裸足で険しい山道を登って行った。南は清水、北は吉田の中央に当たる地点で、突然巨大な一枚岩の上に衣冠束帯で端座する菅原道真が出現し、王城を鎮護し諸人の願いを叶えんがためこの地に社を築き、よろしく護持するよう言い終え、忽然と姿を消した。翌日目覚めた北政所は、夢かと驚き合掌していたところ枕辺に錦につつまれた一軸を発見し開いてみると、夢に見た菅原道真と全く同じ姿を描いた再像であった。
高台寺は、諸堂修復費用捻出、存在周知を目的として創建依願の念願であった初めての「居開帳」を寛保2年(1742年)3月3日から4月22日までの50日間行っている。この時、開帳物や霊仏がなかった高台寺は、高台天神の「袖像」と「縁起」を開帳のメインとしている。2005年10月6日高台寺天満宮に現在の地に移動し落慶法要を行った。10月6日は、いみじくも北政所の命日であり、以降高台寺天満宮では毎月3日を縁日と定めてお参りを行っている。
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