鷲峰山 高台寺
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高台寺の歴史
野田文外

  
三江紹益和尚と高台寺
 

当時、建仁寺に三江紹益和尚という名僧がおられた。十五歳の時、建仁寺塔頭常光院の明室和尚に就いて祝髪受具されたが、師が病没されたため、妙心寺の南化和尚の下で修行をされた。南化玄興和尚は秀吉の子鶴丸の菩提寺祥雲寺の開基である。その関係で三江和尚は木下家定と知己の間柄となった。
慶長九年(一六〇四)、三江和尚は木下家定の協力のもと、建仁寺塔頭常光院を改修建立している。三江和尚は建仁寺はもとより、当時の人々から大きな敬意を払われていた僧侶である。家定はその人柄にひかれ、自身の七男を三江和尚のもとで出家させている。周南紹叔和尚である。

高台寺は当初曹洞宗の寺院であった。住職も五代にわたり曹洞宗から迎えていた。しかし、住職が長続きしないこともあって、北政所は建仁寺から新たに三江和尚を迎え、高台寺の開山となられることを懇願された。おそらく兄家定やその七男周南和尚の関係もあっただろうが、何よりも三江和尚の大きさにひかれたからであろう。
ところが、建仁寺は臨済宗であり、同じ禅寺とはいえ曹洞宗とは宗派を異にする。結局、高台寺の転派が認められたのは寛永元年(一六二四)であり、三江和尚が建仁寺塔頭久昌院から高台寺に入寺したのは、その年の七月であり、北政所が病没する直前のことであった。以後、高台寺は臨済宗建仁寺派に所属し今日に至っている。
なお、当時高台寺山内には円徳院・永興院・岡林院・月真院・玉雲院があったが、この後、春光院・永昌院・昌純院の三塔頭が加わった。

円徳院は木下家定の居館であり、北政所の警護のための武家屋敷であった。今日でも長屋門が当時の趣を残している。後に家定の次男利房が自らの号をとって寺院としたものである。
永興院は北政所が伏見城の化粧御殿を移築したもので、後に円徳院の所管に移された。円徳院北庭として北政所終焉の地となったところであり、豪華な石組みの庭園が今でも残されている。
月真院は元来亀井家の菩提寺であったが、高台寺が曹洞宗から臨済宗に転派したため、亀井政矩のみの菩提寺となっている。
春光院は家定の長男勝俊の娘の菩提を弔うために、寛永四年にその号をとって建立した寺院である。北政所はこの娘をたいそう可愛がり、自らの傍らに置いていたが早世した。木下家の人々は、この娘の早世を大いに惜しんだと伝えられている。
玉雲院は北政所の生母朝日の康徳寺を移築し、建立改称したものである。
そのほかの寺院については、現在のところ不詳である。
いずれにせよ、高台寺が最も隆盛を極めていた頃、この八塔頭寺院を初め、同じく山内の薬王院、東山の慈芳院、高野の徳雲軒・隣好庵、太秦の海生寺、建仁寺山内の常光院・久昌院・清住院・興雲庵が三江派中として加わっていたことが知られている。

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