鷲峰山 高台寺
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高台寺の歴史
野田文外

 
高台寺建立
 

慶長八年(一六〇三)、北政所は後陽成天皇より、「高台院」の号を勅賜される。 
北政所には兄家定と妹ややがいた。慶長九年、家定は臨済宗建仁寺の塔頭常光院を改修建立された。家定に触発された北政所は、寺院の建立に向けて動き出された。その名も号にちなんで高台寺と決められた。
当時、北政所の母が眠る寺町にあった康徳寺が候補にあげられたが、いかにも手狭であったので、東山鷲ヶ峰が選ばれた。

慶長十年、北政所の高台寺建立の動きを知った家康は、酒井忠世・土井利勝を高台寺造営御用掛、京都所司代板倉勝重を普請奉行、堀監物直政を普請掛に任じ、財を惜しまず協力したといわれている。
北政所の存在は、家康にとって非常に大切な存在であったことがうかがわれる。福島正則・加藤清正・浅野長政等の北政所にとって子飼いの大名たちも働いた。

寺町から康徳寺の移転が完了し、伏見城から化粧御殿と前庭(現在の円徳院)の移転が整い、北政所は化粧御殿に移り住まれた。慶長十年六月二十八日、北政所五十八歳の時である。
この地は北政所が七十六歳で没されるまでお住まいになり、したがって北政所終焉の地となった。明けて慶長十一年、鷲峰山高台寺が落慶した。


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