後藤典生住職の法話

「尊厳葬」のススメ

 本来人間は自然死であるが、医療の発達で自分の意思に反し生かされることが多くなった。
 一方、生かされることを望まず、無意味な延命を拒否する人々、死を「自分の意思」によって決定したいと望む人々も増えてきた。これを「尊厳死」という。
 同様に私は以前から、「尊厳葬」を檀信徒に説いている。今日九割以上の人々の葬儀が本人の意思とは無縁のところで決定されている。仏教徒にとって死は人生の最後であり、また新たなる旅立ちの出発点でもある。最後をどう締めくくるのかということは、今をどのように生き、次の世界をどのように生きるのかということに繋がる。その葬儀を自分の意思と無縁のところ、葬儀社、花屋、残された人々などに全部託し決定してもらうということは、自分の人生、生き方を他人に委ねることに他ならない。
 時々知らない方からの葬儀依頼があるが、多くの場合断らせていただいている。何故なら故人がどのような信仰をもっていたのか、どう死に望んだのかが分からないまま、仏教徒として葬儀をすることは、本人の意思にそっているのか疑問であるからだ。
 アメリカでは棺桶にこだわる人々が多い。素材をクルミ、マホガニー、桜、楓、樫、広葉樹などのどれにするかは本人の好みである。またほとんど同じ木棺がないのも個性である。死体の腐敗処理を施しお棺を土葬する米国人と、火葬する我々仏教徒とのこだわりの違いかも知れない。
 私の檀家でも最近棺桶にこだわる人々がでている。棺桶の蓋、或いは顔の部分を空け、お別れなどしてほしくない人は蓋の取れないお棺を選ぶ。
 また死化粧などしてほしくないという人も増えている。
 祭壇は春夏秋冬、菊ばかり。菊が仏様にあうといえばそれまでのことだが、その季節にあった花で祭壇を飾りつけてほしいという人もいる。バラを愛し、バラの花を棺桶に入れ、祭壇に活けてほしいという人もある。バラはとげがあるから仏様にはダメだというが、本人が愛してきた花ならそれでいいではないか。
 白い着物を着せられるのが一般的だが、好きな着物、洋服で送ってほしいし、新たな出発にしたいというなら、そのような着物を着ることに何ら不都合はない。
 お香は甘い白檀の匂いが好きだという人もいるし、私のように少し辛い沈香が好きだという人もいる。供えてもらうお香、線香も好みのものを頼んでおいてはどうだろう。
 葬儀の規模、費用をどの程度にするのか、葬儀の場所をどこにするのか。喪主を誰にするのか、棺桶にどんな愛用品をいれ、どのような人を呼んでほしいのか、お寺さんは誰に頼むのかを生前に家族に伝えておくこと、また菩提寺の和尚と相談しておくことの大切さを知っておいてほしい。
 葬儀社、花屋、残された者のお仕着せではなく、全てのことを生前に自分で決定しておくことが尊厳葬であり、一人一人がきちんと自分の意思を伝えておくことこそ、今問われる葬儀の在り方である。
(「京都新聞」2007年4月11日付夕刊、コラム「現代のことば」)

(掲載:2007/05/10)