後藤典生住職の法話

幸せへのパスポート─戒名─

 数年前「戒名をつけてほしい」という多くの電話がかかってきた。
 時々戒名をつけてほしいといってくる人はあるが、これほど集中し多くの電話をうけたのは初めてであった。聞いてみると、浜村淳さんが放送で「京都高台寺圓徳院の和尚は戒名を安くつけてくれる」と言われたということである。おそらく戒名代が高い安いという議論になったのであろう。
 けれどこの話には間違いがある。私は今日まで戒名代なるものをいただいたことがない。
 寺院護持のために戒名代をいただくことや、檀信徒の寺に対するこころざしを否定するものではないが、単にお金だけでつけてもらおうとする人も間違っているし、つける僧侶も間違っていると考えているからだ。
 戒名はお金で売買するものではない。
 また字数が多く長い戒名、院号、居士、大姉などの戒名がいい戒名であると思い、つけてほしいという人もあるが、戒名に良い悪いは無い。もしあるとすれば亡くなった方に相応しく、その人が偲ばれるような戒名がいいと私は思っている。
 そもそも戒名はお釈迦様の家族になり、お釈迦様の家族として恥じない行いをしていこうと決意した人(仏教徒)が、お釈迦様の家族に相応しい名前をいただくのが戒名である。
 その人に相応しい戒名をつけるには、生前の生き方、あり方、生きざま、その人の心、こころざしなくしては、つけられないのである。常日頃、寺にも来ず、仏様や祖先にもお参りもせず、戒名だけはいいのをつけてほしいというのは、僧侶も困るしバチ当たりである。
 世の中には、死んでから仏式で葬儀をしてもらったり、お寺の墓地に納骨してもらうから仏教徒であると思っている人がいるが、間違っている。生前に仏教徒として生きることが肝心なのである。死後に戒名をもらうのではなく、生前に戒名をいただくということが大切なのである。
 私の檀家は少ないが、かなりの檀信徒が生前に戒名を受けている。
 仏教徒と認め、戒名を授与するには、私は3つの約束、決意を求めている。
 神、仏、祖先に敬意を払い礼拝をすること、戒律を守り守れなかった時は懺悔し反省すること、そして布施をすること。
 特に布施は大切である。和尚さんにお金を包むことが布施だと思っている人が多いが、布施とはそのようなものではない。私たちが辛い苦しい孤独なように、他の人もそうであることを知り、その人の心になってあげる心の布施、道でこける人があれば抱き起こし、はらってあげるという体で出来る布施、仏様のような優しい眼差しで相手に安心感を与える眼の布施、笑顔で相手に接する顔の布施など、私たちには他人に対して多くのことが出来ることを知り、していくのがお釈迦様の言われた布施である。
 礼拝、戒律、懺悔、布施。そんな人生がいかに幸せで豊かな人生であるかを知ってほしい。
 お釈迦様の家族として生きることこそ幸せへのパスポートであり、ゆめゆめそのパスポート(戒名)を金銭で買おうと思うことなかれ。
(「京都新聞」2007年2月16日付夕刊、コラム「現代のことば」)

(掲載:2007/02/28)