後藤典生住職の法話

体験

 仏教は体験である。したがって体験をしていないものが仏教の本意を教えてほしいといっても、なかなか説明できるものではない。
「今日は暑いですなぁ」「本当に暑いですなぁ」と挨拶しているが、これは二人とも暑さという体験を得ているからできることなのである。
 もし、暑いという体験をしたことが無い人に暑いということを説明しようとすれば、どうすれば良いのだろうか。
 温度が上がる、汗をかくといったところで説明になっていない。
 体験をして初めて語り合えるものが仏教なのである。
 私たちは日常の生活の中で仏教の本音から出る言葉をよく使う。
 例えば無常、縁起、涅槃、寂静、因縁、息災、方便、往生、油断、四苦八苦、有頂天、甘露、普請、金輪際、微塵、一蓮托生、奈落、断末魔、供養等、何の気なしに使っている。言葉の意味はわかっていても体験のないことが多い。
 例えば「精進」という言葉を辞書でひくと「努力を続けて行うこと」等と書いてありわかったような気になるが、本当のところは精進を実際に行ったことの無い人にはわからない。
 精進は言葉の意味を調べるよりも実際に行ってみることが大切である。
 だからこそ仏教では体験(修行)を重んじるのである。