後藤典生住職の法話

脳死

 人の死はどの時点で死になるのであろうか。従来、人の死は肺か心臓の停止をもって認められていた。
 多くの人々の気持ちとすれば、その事は宗教的にも法的にも納得できるものであった。
 ところが、今、脳の停止をもって死であると法律で定めようとしている。
 仏教の教義からは、別に人の死が脳死であろうと心臓停止であろうとこだわる必要はない。ただ今日まで、僧侶は心臓停止を人の終期とする前提で故人を追悼してきた。
 一般の人々もそれを受け入れ心臓死をもって葬儀を行ってきたのである。
 脳死の段階で心臓が動いているにもかかわらず葬儀を行うことは感情的にあわない。
 すなわち心臓が停止しなければその人が死んだと思えないのが日本における社会的合意であった。
 科学的に脳死が人の死であると証明されることと、人々の持つ感情は別問題である。
 何故、今脳死の段階まで人の死を早めなければならないのか。
 臓器移植も目的にして人の死の定義を早めるとすれば本末を転倒している。
 人の死と臓器移植は別問題であり、あわせて議論されてはならない。