後藤典生住職の法話

臓器移植

 お釈迦様が亡くなられた後、荼毘(だび--火葬)にふされ遺骨が残った。
 この遺骨を人々はお釈迦様の形見として取り合った。
 結局、八か国に分けられ仏舎利として人々の信仰を集めている。
 現代の日本でも荼毘にいふした後の遺骨を墓や納骨堂に納め追悼している。
 死後においても故人の体に特別な心を抱き、その人が生きているように大切にしてきたのが日本人である。
 したがって死体を損傷する行為は人々の仏教感情への侵害である。
 一方仏教では捨身(しゃしん)といって我が身を投げ出して他に布施することの大切さを説いている。
 たとえ、体を損傷しようと、捨身の心であれば少しも仏教感情には反していないのである。
 両親が子供に腎臓移植をすることは頻繁に行われているし、生体肝移植も多数報告されている。
 輸血も頻繁に行われている臓器移植である。
 結論からいうと臓器移植は生体だろうが、脳死状況からの移植であろうが仏教的には許されるものなのである。
 むしろ腎臓や肝臓が不足しているため、両親が自己の臓器を子供に提供しなければならないことであるならば、仏教徒としては積極的に脳死状況のもとで臓器提供をすることの方が教えにあう。
 臓器移植をするために脳死を人の死とする法律を作ることには反対であるが、臓器移植そのものには積極的に取り組むべきであろうと考えている。